UX デザインに求められる「3つの目」

* 当記事は UX Milk に寄稿させていただいた記事の転載です。

「3つの目」とは?

言い古された言葉ではありますが、みなさんは物事を捉えるための「3つの目」を聞いたことはありますでしょうか?

  1. 獲物を見つけるかの如く、全体を俯瞰する「鳥の目」
  2. 近づいて様々な角度から細部を見る「虫の目」
  3. 全体の流れを掴む「魚の目」

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物事を捉えるときには特定の視点に偏るのではなく、複眼で捉えることで物事の真理を理解することができると言われています。わかりやすく言えば:

  • マクロな視点
  • ミクロな視点
  • トレンドを把握する視点

と区別することができます。ネットで検索をすれば経営者やリーダーに求められる条件の1つとして語られることが多い「3つの目」ですが、私は UX デザインにこそ応用すべきであると考えます。

UX デザインにおける「3つの目」とは?

昨月、大阪にて開催された HCD-Net サロンにて私は「サービスデザインの骨格と視点」というタイトルでサービスデザインへのパラダイムシフトに伴う視点の変移についてお話させていただきました。当日発表させていただいたスライドはこちらよりご覧いただけます。

その際に、サービスそのものを俯瞰して捉えるための手段として事例と共にサービスブループリントをご紹介しました。既にご存知の方は多くいらっしゃると思いますが、サービスブループリントとは対象のサービスを1)エンドユーザー視点のフロントステージおけるユーザー体験と、2)サービス提供者視点のバックステージにおけるユーザー体験とで分けて可視化するツールです。

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エンドユーザー観点で語られることが多い UX デザインですが、冒頭で述べた「鳥の目」でサービスそのものを捉えると、サービスとはエンドユーザーとサービス提供者間のインタラクションの連続性によって成立するコミュニケーションであると理解することができます。また、その中で我々が関わることが多いウェブサイトやアプリの設計やデザインはエンドユーザーとサービス提供者をつなぐ接点の一部であり、「虫の目」が活きる領域です。

最後に、前述のバックステージおけるユーザー体験、すなわちサービス提供者視点でサービスを捉えなければ実行性がありません。サービス構想を可能にするためのオペレーションや組織構造などをデザインの対象に含めるためには、正に水面下からサービスを捉える「魚の目」が求められます。

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まとめると、UX デザインにおける「3つ目」は以下のようにまとめることができます:

  1. 鳥の目:サービス全体のジャーニーや接点を俯瞰して捉える
  2. 虫の目:ひとつひとつの接点を担う細部のタッチポイントを捉える
  3. 魚の目:サービス提供者のバックステージにおける流れを捉える

なぜ、UX デザインにも「3つの目」が必要か?

UX デザインは主にウェブ業界で語られることが多く、その対象もウェブサイトやアプリに閉じてしまいがちです。

本来であれば、今回ご紹介したサービスブループリントに従ってユーザーの体験を可視化してみると、デザインの対象はウェブサイトやアプリに閉じないべきなのです。虫の目だけでサービスを捉え、デザインの対象を限定してしまっては自分が知らない問題に直面することはなく、虫の目からしか見えない問題のみが解決の対象となってしまいます。

当たり前ですが、自分の知らない問題は解決できません。UX デザインを問題解決として定義するのであれば、本来解決すべき問題とはなにかを継続的に探る必要があります。そのためには全体を俯瞰して見る鳥の目や、サービスの裏の流れを捉える魚の目を養うことが求められます。ただ、昨今の UX デザインに関するイベントや勉強会の多くは「虫の目」留まりになっているのではないかと危惧しています。今回ご紹介した「UX デザインにおける3つの目」はどれも必要であり、ひとつでも欠けてしまうとそれぞれの良さが失われてしまいます。

言い古された「3つの目」ですが、UX デザインにも応用することによって、これまで以上に本質的理解が進むのではないでしょうか。

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sprmario.hatenablog.jp

UX デザイナーを目指している君へ

はじめに

  • 当記事はUX デザイナーを志している、主に学生に向けたメッセージです。

  • 当記事は「UX Tokyo Advent Calendar」の25日目の投稿です。

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(magro via Compfight cc)

UX デザインに関わる仕事に就くことを志した日をいまでも覚えています。それは、UX の提唱者であるドナルド・ノーマン博士が母校で行った基調講演に参加したことがきっかけでした。思い返せば、世の中のプロダクトやサービスをよりよいものにしたいという想いが非常に強かったことを覚えています。ユーザー不在の組織や社会にイノベーションを起こす思想こそ、日本のものづくり文化の再建に貢献するだろうと確信しました。しかし、いざ日本企業に勤めればそこは全くの別世界。UX という言葉が流通し、バズワード化してきたこの頃は誤った理解が先行し、他者を上手く説得するための材料として用いられていました。

但し、これだけで僕は諦めませんでした。そしてあなたも諦めるべきではありません。

すべてのはじまり

当時、UX デザイナーという職種はこの世にありませんでした。ビジュアルデザイナー見習いであった僕は大手IT企業で商品のバナー制作や特集ページの制作に没頭し、如何に人の目を惹き付けるか、限りある空間の中で創造性を発揮することに喜びを感じていました。ところが、配置されるバナーや特集ページはコトの一部でしかなく、ユーザーのコンテキストに合わせた設計を考慮しなければ利用してもらえない以前に、気づいてさえもらえない。それでも自分が担当したデザインが世に出ることへの喜びが勝り、しばらくはビジュアルデザイナーとしてのキャリアを積んでいました。

ところが冒頭の、ユーザー不在の組織を改革するまでの道のりは遠い遠いものでした。

  • ユーザーとの接点を担うビジュアルデザイナーという職種でも実際のユーザーとの距離は遠いこと
  • 一人で作業することが多かったこと
  • 評価は数字でしか現れず、実際の声としてフィードバックされなかったこと
  • デザインの良し悪しがその人の感性によって定められたこと
  • つまりは俗人的であったこと
  • 他のところに手をつけようにも組織のサイロ化が著しく、組織の壁を越えた思ったようなコミュニケーションが取れなかったこと

デザイナーというキャリアを選んだ自分の判断を疑いました。そこで僕は情報設計(IA)に関心を抱き、表層のデザイン以前にその背景となる情報構造や導線設計までをデザインの対象に含めなければその後のビジュアルデザインが良いものにならない。意味がないと考えました。そして、いわゆるウェブディレクターのポジションに就きました。

変化の訪れ

開発との距離が以前よりも近くなり、かつプロジェクトのスコープも、スキームもこれまで以上に肥大化し、複雑化しました。プロジェクトのそもそもの問題提起の確度が不明なまま進行するも、第三者であるユーザーの声をユーザーテストやインタビューの実施結果から届けることで軌道修正を何度も図ってきました。

すべてを実現できなかった不甲斐無さは残るも、ユーザー不在の環境からの脱却の足がかりとなりました。また、この時には自信の経験を世に発信することで、何が足りていないのか?を自問自答してきました。結果、僕は一人ではないことへの安心感を得ることができました。その時の話がきっかけとなり、同じ不を抱えていた人たちで集い、自主的に勉強会や読書会を開催するコミュニティを発足しました。それが、いまの UX Tokyo の母体です。 

話を少し戻します。

情報設計に特化した取り組みをしていたものの、対象サービスのバリュープロポジションやサービスオペレーションを見直さないことには文字どおりのユーザー体験の抜本的な改善が行えないことに疑問を抱き、新規事業開発やサービスのリニューアルといったプロジェクトを中心に担当するようになりました。これまで以上の規模、そして責任の重さに応えるべく、HCD-Net が定める人間中心設計専門家や、社会人向けの人間中心デザインを体系的に学べるプログラムに参加し、改めて自分が取り組んできた実経験を見直し、体系化していきました。自分がやってきたことに間違いはない、そう思えました。

そして丁度その頃には西海岸から UX デザイナーという職種が海を渡って届き、会社の名刺にも肩書きとして「UX デザイナー」と記載することを認められました。

伝えたいこと

「UX デザイナーはどんな仕事をしているの?」とよく聞かれることはあります。様々な記事で解説はしているものの、この質問こそイテレーションを繰り返し、UX デザイナーとしての自分を見直すための指標であると考えています。

人が想いを伝えるための「モノ」と、場所や時間などの「コト」を作り、それに対するフィードバックを得てまた「モノ」と「コト」を改善していく、それ全体がUXデザインです。伝えたつもりになってしまわないことが一番大事で、そうならないための「伝わる仕組み」を考えることがUXデザインなのです。ー「【インタビュー】UXって結局何なんですか? 大学生が専門家に聞いてみた | UX MILK」 

もし、既にここに書かれている事態に直面しているのであれば、それは決して恥じることではありません。最も大事なことは、一人でいないこと。外に出てみましょう。コミュニティに出向いて、同じ職種の人の話を聞き、新しい知識を得て自身のことについても話してみましょう。UX デザインは綺麗に一言でまとめられるほどの簡単ではありませんし、僕はまとめるものではないと考えています。そうやって、UX デザインは浸透し、進化してきました。

UX デザイナーになりたいという夢を、例え小さなことでも折り曲げる必要はありません。我々は、あなたのような、純粋にユーザーのためを想い、ユーザーのためによりよい体験を実現し、これまで以上に住みやすい社会をつくりあげることに意欲がある人を求めています。リーンスタートアップやデザイン思考、デザインスプリントなど、UX デザインを取り巻くように実に様々な手法体系が発表されていますが、難しく考える必要はありません。その根底にあるのは、ユーザー中心の設計理論です。

ディズニーランドが新たに発表したマジックバンドのように、これまで以上に感動体験を生み出す仕組みが続々と世の中に誕生しています。この時代に生き、UX デザイナーという職種に就けることにもっと喜びを感じるべきです。

UX デザイナーになるために必要な3つのこと

最後に、当記事を読まれてUX デザイナーを志そうと決心した読者の方へ、UX デザイナーになるために必要な3つのことを自身の経験からご紹介します:
  1. 自ら様々な体験をすること:ユーザーになりきることは不可能です。つまり、ユーザーとどれほど近い立場になれるか、近しい経験をしているか、が自身のものさしとして今後必要になってきます。
  2. 正解はユーザーしかわからないこと:いくら第三者であるユーザーのためと思っていても、実際にユーザーが触れるまで正解はわかりません。エゴに押し切られないように注意しましょう。
  3. ユーザーと共創すること:ユーザーとの対立構造を緩和すべく、ユーザーを「(サービスを提供する)相手」として見なさないようにしましょう。共にサービスをつくるパートナーとして接しましょう。

子供が将来なりたい職業に、UX デザイナーが挙げられるその日まで。メリークリスマス。

坂田 一倫

関連記事:

Empathy:いま、デザインに求めらていれるエンパシーとは?

当記事は9月8日に開催された「UX Jam #2」でお話させていただいた内容を参考にしています。

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UXデザインの仕事の本質は、日々進化するツールやフレームワークを使いこなすことではなく、ユーザーへのエンパシーを高められるよう、日頃からいろいろな体験をしておくこと。そしてそんな体験をシェアし合う場が求められている、というお話でした!

ー 【イベントレポ】ゆるく学ぶUXイベント UX JAM #2 | UX MILK

Empathy とは?

Empathy(エンパシー:共感力)に着眼点を置いた理由は、エンパシーこそが我々デザイナーが他の職種と差別化できる唯一の要素である、と考えているからです。

この思想に至った背景には、約2年前に参加した国際カンファレンスでの出来事があります。その日、参加者数名と一緒に懇親会を兼ねた夕食を食べに都内のレストランに足を運んだ時のことです。ファーストドリンクが運ばれるまでの開いている時間に突然隣に座っていた女性がテーブルに敷かれている紙のテーブルクロスに手持ちのペンで絵を描き始めました。

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「何を描いているのですか?」そう尋ねると彼女はこう答えました。「想像に任せるよ。」確信が持てなかった著者はその隣に「こういうことですか?」と尋ねながら絵コンテのように次の一コマを絵で描いて見せました。「そういう捉え方もあるね」と目の前に座っていた男性が更にその続きの絵を無言で描き始めました。次にその男性の隣に座っていた人にペンが託され、紙芝居のように次々とコマが増えていきました。

言葉や文化、人種はそれぞれ異なるも、言葉を交わさずに絵だけでひとつのストーリーが完成しました。これがエンパシーだ、とみんなで実感した瞬間でもありました。

描かれている絵からひとつひとつの要素を抽出し、時間軸を加えて前後の文脈を保ちながら登場人物の感情や体験を設計する。これは正にユーザーエクスペリエンス・デザインそのものではないでしょうか。

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描かれている絵の登場人物が置かれている状況や心境を自分ごとのように理解し、把握する力が共感力であり、いまデザインに求められている力だと考えています。

なぜ、Empathy なのか?

手前味噌ですが、登壇させていただくイベントや参加させていただくイベントの多くは、手法/プロセス/ツールのハウツーや事例などのノウハウに話題が偏ってしまっています。決してマイナスではありませんが、IT 技術の発展に伴い、これまでと比べてハウツーやノウハウなどの知識はネットで簡単に入手できるようになりました。

また、ツールや技法を習得できたとしても、良いアイディアの創出には直結しないと痛感しています。良いアイディアが創出される確率は上がるかもしれませんが、同時に「個人/個性」としての介在価値が発揮されにくくなります

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アイディアを、「洞察や分析を通じて見つかる問題に対してさまざまな観点から得られる発見や気づきを加えて発想し、具現化されるもの」として捉えると、アイディアの質は「発見や気づきを得るための観点」に依存すると言えます。

そしてこの観点を養うためには、自分自分がさまざまな体験をすることで自分ごととして対象の体験を設計するためのユーザー視点を担保しなければなりません

これが、エンパシー(共感力)が求められている理由です。

ペルソナを作成したとしても、その属性や立場から遠い人にとっては理解が進まず、施策検討の段階でも表面的なニーズの抽出に留まってしまい、前述のアイディアの質が乏しくなってしまいます。もちろん、完全にその人になりきることは不可能であるため、昨今では「Empathy Map」など共感を促すための着眼点や方法論が議論されています。

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著者の提案としては、ハウツーやノウハウの議論に時間を費やしすぎずに日頃からさまざまな体験をし、体験した素晴らしい出来事を共有する場をもっと増やしていきませんか?

当日使用した資料は下記からご覧いただけます。

関連資料:

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