「たくみ」はその用いられる漢字で意味が異なると言います。
現代社会で良く用いられる「たくみ」に該当する漢字は「匠」であり、職人を意味します。しかし、その歴史を辿って行くと「器用」を意味する「巧」や木工を専門とする職人を指すときに用いられる「工」、著名かつ美しい作品を示す場合には「卓美」と変換されるなど実に様々です。
日本ならではのものづくり文化として「たくみ」は英語圏で「TAKUMI」とそのまま英語に訳されるほど認められており、本書で取り上げられているたくみは単に技術が巧いというわけではなく、枕草子や万葉集などの日本の古典と深く結びついていることが特徴として挙げられます。それは日本調というような浅薄なものではなく、日本の古典を知り尽くした上で、近代的な材料と技術を駆使する、まさしくたくみです。
「日本のたくみ」は藝術新潮にて1954年1月号から1955年6月の間で連載された記事を単行本にまとめられた一冊で、著者である白洲正子さんが昔から縁があって付き合ってきたたくみの方々を一人一人丁寧にご紹介しています。
古本屋でこの本に出会ったとき、いい茶碗を手にとったときの感覚を覚えました。懐かしいながらも実に奥が深い日本古来の扇や花、箸を手掛けるたくみもいれば、刺青や水晶など目新しいながらも日本人に親しみのある外国文化のものづくりを手掛けるたくみが登場します。
時間を忘れるほどの喜び
現代においてはデザイナーという役職が定着していることもあり、たくみは一言で片付けてしまえば職人に過ぎないかもしれませんが、本書では作品ではなくたくみの生活態度に着眼点を置いているため、学ぶことも多いです。
『たくみの生活態度は「時間を忘れ、金に換えることを忘れた糸」そのもののように見える。』- pp206
『たくみに共通していることは、自分の仕事に喜びを持ち、金のあるなしに拘わらず、豊かな環境の中で暮らしていることであった。』- pp220
その特徴として、現代のものづくりにおける仕事と同じく機械の助けを必要とするけれども当人にとっては手仕事の延長だということがわかります。あらかじめ設計なども手掛ける場合もあれば、現場に出向いてそれこそプロジェクト・マネージャーのような立ち振る舞いで指揮をしたりしています。
一貫作業
業態によっては昔は分業だったそうです。しかし、それでは気に入ったものはできないというたくみの想いから、いまは一貫作業で実行しているところが殆どのようです。これは工芸であろうがなかろうが、昔であろうが現代であろうが関係なく、少なくとも真面目に仕事をしている人たちがみんな実行していることではあるけれども、なかなかそこまで気が配らないこともあります。これも、たくみが我々に気づかせてくれる大切な要素だと思います。
人は無力
自分から考えるのではなく、向こうの方から教えてくれるという姿勢がとても印象的でした。なによりも目で見るというよりも向こうの言葉を聞き分けることが大切で、これは長い付き合いだからこそ成立する人とものとの関わり方です。
例えば木工を裁くたくみに至っては道具がすべてである、という偏見を持ってしまいがちですが、そうではありませんでした。道具は人間が造ることができるけれども、天然の素材にいたっては造るわけにはいきません。そのため、木工であれば木、石工であれば石がすべてであると言います。あたりまえのようなことを言っているようですが、なかなか理解し切れないことが多いと思いますし、何よりもそれを見極めるたくみもまた巧みです。百聞は一見に如かず、といったところでしょうか。ついつい自分を主役においてしまいがちですが、脇役としての人の手作業によって邪魔しない程度に手を施すことが何よりも難しいのだと思います。
最後に、ものが壊れてしまうそのぎりぎりのところまで、危険を犯すのがたくみの芸の本質であるのではないかと読み終えて思いました。